フィールドワーク横浜

更新2007.3.3

《2003.8.18》

 今年の夏はオホーツク海気団が強く東日本と北日本は冷夏で天候不順の日が多い。フィールドワークの予定日の今日も梅雨のように雨が降ったりやんだりの天気だ。そんな小雨の中山下公園から関内まで歩いた。このあたりの地質は江戸末期以降に埋め立てられた、埋立地である。中村川から大岡川の間が江戸時代に新田として開発されたことは有名である。そのために地盤が弱く、関東地震ではこのあたりの建物はほとんど倒壊してその後の火災で焼け野原になった。山下公園は震災の瓦礫を埋め立てて作られている。日本の近代の夜明け開港の明るい印象とともに、忘れてならない教訓でもある。

 山下公園の近くのよく整備された生垣にヤブラシがからみつき、白い花が咲いていた。ヤブガラシは蔓性の植物であるが、そのままにしておくと生垣の葉がこれに覆われてしまい生垣は枯れてしまう。農作物にも敵で嫌われものであるが、白く可憐な花をつける。山下公園を歩いていると、芝生の上にシイの木が生えているがその根元にシイの実と芽生えがあった。シイの木は常緑樹で1年中木陰を作る。そのために、根元には下草が茂ることはない。シイの実は渋が少ないので古代から食料として食べられていた。その実を拾うと何か嬉しいのは「遺伝子の記憶」かもしれない。芽生えは親木がしっかりしているうちは、日陰になるので育つことはない。

    

《フィールドワークで見つけた植物》          《大桟橋から見た山下公園》

【大桟橋周辺地図・マピオン】

 シイの木の近くにインド風の塔が立っている。由来を読むとこれは関東震災の時にインドから援助を受けそれを記念して作られたものだそうだ。日本は過去に世界中から多くの援助をうけて、近代化し災害から復興してきた。えらくなって・・?傲慢になった日本、つらい過去に受けた恩義を忘れてはならない。 県民ホールの前に出ると、石造りの歩道がある。歩道のすき間をよく見るとスギゴケが見えた。コケ類は根が発達していないので陸上では生育環境が限られているのだが、石畳はアスファルトと違い水をそのすき間にためることができるのでコケも育つことができる。横浜名物イチョウ並木も石畳からしみ込んだ多量の雨水で育っている。都会の地面のほとんどはアスファルトで覆われてしまい、地面に水がしみこまなくなってしまった。最近大都市の気温が高いのは、アスファルトで気化熱が奪われないためでもある。都市の温暖化はCO2よりアスファルトが原因となっている。問題を見誤っては解決しない。

 シルクセンターの角まで石畳の歩道を歩くとクワの木と月と絹の女神セレナの像?がある。絹とクワの木は切り離せない仲である。近代日本は横浜港から輸出される絹の外貨で作られたと言ってもよい名園三渓園も絹の輸出で巨万の富を築いた原三渓が作った。クワの葉が枯れた冬、カイコは卵で過ごすが、温暖な地域では二ガナのような雑草を食べることもあるらしい。生物は生き残るための保険も備えている。シルクロードを越えて旅したカイコたちにはどのようなドラマがあったのだろうか。

 開港資料館前の生垣にハマユウが咲いていた。ハマユウは温暖な気候を好み種子は海流に乗って運ばれる。温暖な砂浜で発芽し、群落をつくることもある。日本での北限は三浦半島の佐島とされている。温暖な気候を好むハマユウがどうしてここにたどり着き、花を咲かせたのか不思議だ。もしかしたら誰かが植えたかもしれないけど。

 日本大通は去年改修されモダンな通りになった。浸透性のベージュの舗装が新鮮に見える。イチョウの周りの植え込みも環境に合わせたバランスのよいものになっている。その通りに面して港郵便局がある。港郵便局の入り口に昭和30年に作られた郵政事業80年を記念した天使の像がある。この青銅製の像は48年間の酸性雨によって腐食された例としてテキストによく紹介されている。新社屋になって雨に打たれなくなったので、いまは酸性雨の被害を受けていない。大気汚染のひどかった頃の教訓としたい。今でも以前ほどではないが自動車の排気ガスから出される、NOxはあいかわらずである。排気ガスはなくても大気中のCO2のために雨は弱酸性を示すが、SO2やNOxが加わると話は深刻で硫酸硝酸の雨が降ることになる。この像はそれに警告を発している。

 日本大通を歩き終わると横浜公園に着く。横浜公園はケヤキやクスノキが大木に育ち落ち着いた景観になっている。雨の中でサルスベリが咲いていたが花に元気がない。サルスベリは焼き付けるような暑い日ざしが似合う。冷夏と長雨で生彩がない。今年はオホーツク気団が例年になく強く、7月に梅雨明け宣言はあったがいまだ梅雨明けはないようだ。長雨のためか、ケヤキの幹にもコケや蘚苔類が多くつき、緑色になっている。サルスベリには長雨は困り者だが、コケ類にとっては天国だ。

     

《チューリップの咲く横浜公園》           《バラの花と氷川丸》

【横浜公園周辺地図・マピオン】

 私たち人間にとっては冷害で米の不作が不安になってきた。また長雨で家や皮膚もしめってしまい、体にもカビがはえそうだ。ミズムシ、タムシは菌類だ。かびが生える前に天気が回復してほしい。観察を終えて、関内から列車に乗った。三渓園は貿易商として有名な原三渓が、当時廃仏毀釈で省みられなかった文化財を現在の場所に集め庭園を作ったものである。園内には京都や鎌倉の三重塔や堂が残っている。地質的には比較的やわらかい泥岩層とその上に積もった関東ローム層からできている。明治時代には裏の出口の本牧市民公園あたりは波打ち際であった。当時は波の浸食によってできた海食崖が海の埋め立てられた今も残っている。崖の下は現在市民公園の池になっている。周辺の湿地も市がビオトープとしてトンボの住める環境つくりをおしすすめている。確かにフィールドワークの際も各種のトンボを見ることができた。

  

《三渓園で見つけた植物》              《三渓園のハスの花》

【三渓園周辺地図・マピオン】

 池の一部は横浜の友好都市上海の記念公園になっており、中国式の回遊式庭園で自由に見学できる。三渓園裏門から園内に入り、三重塔のある丘の上り坂の途中には竹林があり歩道に覆いかぶさっている。趣があっておもしろいが、昼でも暗い。丘の頂上には展望台があり根岸の石油コンビナートが見える。ユーミンは歌にうたっているが、三渓園からのながめとしてはいただけない。昔の白砂青松が似合う。三重塔を見ながら丘を下ると茶室とウメの木がある。ウメの幹を見ると蘚苔類のウメノキゴケがついていた。ウメの木にとっては寄生であるが、趣はある。このウメノキゴケはリトマスゴケと親戚で乾燥させて色素を取り出すと、リトマス液を作ることができる。木の下にアブラゼミが死んでいたが、全身菌糸のようなものでおおわれていた。セミの幼虫は土中で生活するので、菌類が体に繁殖することが多い。漢方で有名な頭柱花草はその例である。このアブラゼミは変態後に菌類にまけたのかもしれない。

 茶室の横には茶の木があり、丸いツバキの実を少し小さくしたような実がなっていた。茶の実を割ると硬い種子が入っている。丈夫で植えると発芽率も高い。日本には中国から栄西禅師が持ち帰ったと言われているが、この実によって茶道ができわれわれもお茶を飲む。茶の実の旅も興味がある。京都建仁寺に栄西ゆかりの茶の木があった。この木とはつながるのだろうか。将来遺伝子鑑定され由来がわかるかもしれない。前庭の池に出るとスイレンの花が咲いていた。スイレンは葉が水面についていて、葉の裏では気体の出入りは難しい。なぜ水面に葉をつけるのか。水の温度は比較的一定であり過ごしやすいからか?オゼコウホネやネムロコウホネのように寒冷地のこの仲間は水面に葉をつけて浮かぶようだ。一方ハスの仲間は葉を水面に出すものが多い。オオオニバスは水面に葉をつけているが、ハスとは別の科である。三渓園の林にはもうドングリ(コナラ)の実が落ちていた。植物にとっては秋の準備が始まっている。落葉樹にとっては1年は半年。短時間でその準備を終える。生物にとって効率の悪い代謝を維持することはエネルギーの無駄でありある意味では「経済性」を考えたライフサイクルをもったものが多い。落葉樹は条件の悪い冬には活動を最小限にして春を寝て待つ。ヒトなど冬眠をしない哺乳類は体温を維持しながら1年中動き回る。効率の悪いシステムで生活をしているかもしれない。フィールドワークを通して色々な勉強をした。

  

《横浜山手で見られる植物》       《山下公園のカモメ》       《大岡川で見つけたウミウ》

【山下公園周辺地図・マピオン】

 情報教育センターでの研修を終えて、大岡川の堤防沿いを歩いているとウミウが羽を広げて日向ぼっこをしていた。鵜というと長良川の鵜飼が有名であるが、横浜の大岡川で生活している姿は去年のタマちゃんを思わせる。特有の白い糞の様子からこの川の魚を食べて生活しているのだろう。Y校付近の大岡川は汽水で、上部は淡水でコイが泳いでいるが下部は塩水でアジのような海の魚が生活している。鵜にとっては餌には困らないのだろう。

 ここから中村橋まで歩くと大岡川と同じように汽水の中村川に出る。ここから山谷の坂を上る。このあたりは本牧と同じように比較的やわらかい泥岩層と関東ローム層でできている。数年前近くの米軍住宅の崖が崩れてマンションに被害があった。今では露頭はコンクリートでおおわれて、地層を見ることができない。坂を上りきると米軍施設がある。写真を撮ろうとすると憲兵が「撮るな」と叫ぶ。「ここは日本で写真を撮るのは自由でしょ」と言うが「どけ」という。日本の公道でもこれが現実。今のアメリカ軍は昔の軍国主義のどこかの国みたいだ。平楽の僧徳院あたりは昔からの墓がたくさんあり、おどろおどろしい。無縁仏の墓も多い。小高い丘を登ると米軍住宅がみえる。ここでは写真を撮らせてもらう。丘を下ると大円寺がある。ここには震災の記念碑があった。たくさんの無縁仏を供養したという。震災から80年その教訓を忘れてはいけない。平楽を抜けると打越橋がある。橋の下には湧き水があり今でも利用している市民がいる。災害時にはこのような湧き水は役立つ。このような崖の下の透水層の切れた部分には泉が湧く。打越橋はアーチの美しい橋だ。

 打越橋を渡ると高級住宅地である山手に入る。閑静な住宅地で市内を見下ろせ、ランドマークタワーなどもよく見える。地質は泥岩層である。震災のときに下の関内地区は住宅倒壊率が100%に近かったのに対して、ここ山手地区は倒壊率50%程度であったと言われている。比較的やわらかい泥岩層であるが埋めたて地にくらべると丈夫である。しかし関東ローム層の斜面は地すべりを起こしやすい。

 地蔵坂の近くにイタリア山庭園がある。石川町の駅のすぐ上になるが、眺めがよい。外交官の家があり花の手入れも行き届いている。コリウスの紫色の葉が美しい。コリウスはシソ科でアオジソと同じ色素である。葉をアルコールで煮ると紫の色素は分解されて、緑色の葉緑素を取り出せる。葉は紫色であるが光合成を行う。

 フェリス女学院の近くに山手カトリック教会がある。土手にタカサゴユリの白い花が咲いていた。最近日本で急激に繁殖している。台湾が原産であるが自家受粉でも増え、むかごでも増える。県の花ヤマユリは肩が狭い。しばらく歩くと日本郵船の山手フラットが見える。石壁を見るとひどく風化している。大谷石を使ったものであるが、軽石の凝灰岩なので30年もすると崩れる。建築材としては考えものである。

 元町公園はサクラの名所である。近くに横浜地方気象台があるので、サクラの開花宣言はここのサクラを観察して出される。標準木が定められていてその木を基準に横浜のサクラの開花が決まる。この木の下にも震災の跡は残っていた。震災で崩れた洋館の遺跡が発掘されて、残っている。レンガ作りで鉄心は入っていない。地震国ではレンガ積みの建築はくずれやすい。

 港の見える丘公園のイギリス館あたりは花壇の整備がよくできている。モントブレチアというフリージア属のオレンジ色の花にアゲハチョウが蜜を吸いにきていた。このように手入れされた公園では大量の殺虫剤を散布するのでチョウの姿は珍しい。最近では殺虫剤をあまり使わないガーデニングも始まっている。現代人は虫を異常なほど嫌いすぐ殺虫剤を散布する。植物と昆虫のよい関係を知って、殺虫剤を使わないようにしたいものだ。

 港の見える丘公園から谷戸坂を下る途中の石垣にシダ植物が生えていた。石垣のすき間に根をはり、育っている。シダ植物もコケ類と同じように受精するのに水を必要とする。梅雨のある日本には生育に適している。石垣をよく見ると富津層と呼ばれる凝灰岩質の砂岩層でできている。横浜でもかつては産出していた石材で、このあたりの石塀として使われている。100年くらいはたっているのだろうか、少し風化して磨り減っている。

 横浜は開港してから150年足らずしかたっていないが、市民350万人の大都市に成長している。150年前の都市づくりの様子を文化遺産によって知ることができる。はじめは植物の観察をしていたつもりであったが、横浜という「都市」を観察してしまった。現在の横浜は都市づくりという点で見ると、ある意味では150年前より後退しているのではないかと感じた。今後は植物との共生をめざした安全な都市づくりについて研究していきたい。

      

《紅葉の山下公園》              《山手十番館》

【山手周辺地図・マピオン】

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